代表社員 木本哲二
略歴 1986年 慶応義塾大学経済学部卒業。旭硝子(現AGC)に入社。主に建築用ガラスの営業に携わり、日本全国の流通特約店、硝子販売店・工事店、工務店、建設会社をお取引先として販売のみならず、特に流通特約店の経営支援も含めて担当する。海外も2度のフィリピン駐在を経験。関係会社であるAGC硝子建材の代表取締役社長を含めて、3つの事業会社で経営マネジメントに従事した。2024年リスキリングにて日本工業大学技術経営修士を取得。また同時に中小企業診断士資格を取得し、当合同会社を設立し現在に至る。
詳細職歴
1986年4月 旭硝子(現AGC)入社。 6月 福岡支店 建材販売課配属
大学を卒業したばかりの社会人1年目にて、ISA(Interia Sales Adviser)の方々の設計巡廻のテーマ決め、目標、スペック実績管理、最終受注・失注管理、業績評価を任される。PDCAを如何に廻していくか、業務実績評価を如何にすすめていくか、を学ぶ。ルートセールス(特約店への販売・支援)に携わることにより、マーケティングの基礎をOJTにて学ぶ。
1993年1月 本社 硝子・建材事業本部 企画 CIM推進チームに転勤
6ケ月間の情報システムの研修において、特に莫大なお金を投資して作るシステムが完成後使えるシステムになるように、要件定義を確り行うことの大切さ、そのスキルを体得できた。その知識、スキルを活かし、販売管理系システムのうち、販売実績システム、文字系の営業情報システムの構築、導入に携わった。また、この時にExcelのマクロの組み方を体得した。
1996年6月 東京支店 硝子販売課 に異動
支店の企画のポジションでは、AGCが出資する特約店の経営状況の取り纏め、及び経営が少し厳しくなっている特約店への対応をメインに業務し、特約店の経営改善、資金繰りを含め関与し、経営に関する知識を少なからず覚えた。また、始めての管理職としての北関東甲信越の取り纏めは、マネジメントの基礎を体得した。
2002年8月 板ガラスカンパニー 東北・北海道エリア統括部 に転勤
エリアとしては、日本の中において一番広大なエリアの責任者、統括部長となった。営業担当者、事務担当者の少数精鋭(受注業務は別)にてこの広大なエリアをカバーする。初めてエリア責任者となることにより、エリア戦略の策定、実践、実績管理、再アクションの今迄も行ってきたPDCA管理の再確認を実施。特に人事労務管理においては公私にわたりいろいろなことが起こり、その対処にあたったことは、以降の労務管理の土台となった。
2004年5月 板ガラスカンパニー 日本事業部 CS推進チーム に転勤
取引先に対する大規模CS(Customer Satisfaction)調査より、大きく5つに纏められた課題に対して、その課題に最適なサブリーダーを専任して各課題ごとに解決への仮説を立て、アクションプランを立て、実践を行い解決へ導いた。チームリーダーとして総纏め役であり、販売部門の課題のサブリーダーも兼務して進める。各課題の進捗報告会の段取り、そして総取り纏め役としての事業本部長への報告会の段取りをへて、継続してフォローしていく組織を創設して終了。初めてプロジェクトチームリーダーとして日本事業部全体を取り纏めていくという業務につき、製造系を含む人脈形成に役だった。
2005年4月 Asahi Glass Philippines Inc.に転勤 副社長 営業担当
初めての海外となるフィリピン海外現地法人に赴任。営業部門を統括する、副社長として業務にあたる。フィリピン人社従業員総勢50名の長となり、最初は英語でのコミュニケーションに戸惑いながらも、自分の考えを下手な英語でも確り伝えることを実践。日本人相手での阿吽の呼吸は通じないので、曖昧な返事は絶対避け、Yes、Noをはっきりさせる。最後の一年で業績を立て直して帰国したが、最後の一年で出来るくらいなら、もっと早く手を打って、相撲で言う「土俵際の打っちゃりで勝つのではなく、土俵の中央でがっぷり四つに組んで勝つ相撲を取ること」を肝に銘じた。
2011年2月 AGCグラスプロダクツ(株)に転勤 執行役員 営業本部長
帰国後AGC(旧旭硝子)の硝子部門の関係会社で建築用加工硝子の製造販売を担当する、AGCグラスプロダクツ(株)の執行役員営業本部長に就任。全国5エリアの長として、営業部門を統括。帰国後すぐ東日本大震災が起こり、当社の東北、茨城にある工場、事務所も被災した。その状況において大きな赤字を出し、翌年も赤字を脱しなかった。企業としてまた経営を担っている身として、3年連続の赤字は絶対に避けるべく、月毎の営業会議にてエリア責任者と徹底的に議論していくと同時に、営業総責任者として日々営業担当者がPDCAを廻し続けることを毎日メールで伝え続けた。最終この年黒字化を成し遂げたが、思いを伝え続けることの大切さを再認識した。
2014年5月 AGC(株)硝子事業部に異動 営業グループリーダー
関係会社の管轄すると同時に、産業特定分野の取引先への板硝子販売の取り纏め役である、営業グループリーダーに就任。原油価格が高止まり、原料も高騰をしており、製造コストを自社努力だけでは吸収しきれず、価格改定を主導。一連のプロセスを確り残すことにより今後の同様な対応に備えることも実践。また、自らも産業分野の大取引先との交渉を通じて、交渉力、咄嗟の対応力をさらに磨いた
2015年7月 AGC Flat Glass Philippines Inc. 上席副社長
2回目となるフィリピン現地法人へ上席副社長として赴任となる。前回赴任していた時同様、フィリピン人従業員と販売立て直しの戦略を議論し実践する一方、事業継続の是非を議論。現地企業への売却交渉成立し、従業員、及び今まで信頼して取引して下さったお客様にも真摯に説明を繰り返し、売却を終えた。1回目の赴任時にもっとこの会社のVisionというものを明確にし、それに沿った経営を推進できていたらこのような結果にならなかったのではないか、と後悔した。社会人人生で一番しんどく辛い仕事で二度と同様なことを起こしてはいけないと心に誓った。
2018年2月 AGC Asia Pacific Inc. Philippines Office Director
現地法人を売却後、人口が1億人を超えており、平均年齢が24歳と若いこれからの市場としてのフィリピンを放置することはできないこと、また、今迄培ってきた取引先との繋がり、人脈を大事にしていかないといけないこと、があり、アジアを管轄するシンガポールに本社のあるAGC Asia Pacific Inc.の傘下にて、フィリピン事務所を創設し、Directorとしてフィリピン事務所長に就任する。従業員の雇い入れ、事務所候補の探索、事務所創設に必要な各種証明書・申請書の取り纏め、提出、事務所の登記等々を日本人として一人残った身としてこなす。進出企業としての税務処理、従業員の雇用社会保険関係含めて対処することにおいて、弁護士、税理士とのやり取りを経験することで、海外においてもどのようなことでも対処できる自信と経験を持った。
2019年5月 AGC硝子建材(株) 副社長執行役員
帰国後ガラス販売をコアとした建築建材の流通、及び設計、施工も担うAGCの関係会社である、AGC硝子建材の副社長として赴任。社長就任までの半年間ビル事業部の総責任者として副社長の任にあたる。特にこの期間は、じっくり会社を見ることができた期間であったので、自らの方針、Visionを固めていく期間でもあった。
2020年1月 AGC硝子建材(株) 代表取締役 社長執行役員
コロナ禍が騒がしくなり始めた2020年1月にAGC硝子建材の社長に就任。今までの経験を活かし、AGC硝子建材の2025年へ向けてのVisionを明確に打ち出す。それに向けたAGC硝子建材の仕事の仕方=PDCAを常に高速で廻すこと、を定義。その手法としてGEのWork Out手法=当社としてのCPU手法(Community Power Up)を全社導入する。2023年に2028年に向けて給与レベルを建材流通業界として最高レベルに持っていく中期計画を策定。経営の難しさを実感しながらもその面白さに魅了された。
2023年11月 AGC(株) 企画渉外部 部長
2023年をもって社長を退任し、本務AGC本体の企画渉外部において省庁関係からの情報入手、折衝をメインで、兼務でAGC硝子建材の顧問として人材採用及び出資会社の非常勤取締役として従事し、現在に至る。